1899年創業。秩父を中心とした埼玉県北部の交通や流通を支えている「秩父鉄道株式会社」は、2019年に120周年を迎えました。旅客・貨物の輸送をはじめ、「SL列車の運行」や「長瀞ラインくだり」といった、地域を活性化させる取り組みも積極的に行っています。

地域の発展を使命として秩父で120年間事業を営んできた秩父鉄道。その代表取締役社長を務める大谷隆男さんに、地域に根付いた経営手法についてお話をお聞きしました。

秩父鉄道大谷隆男(おおたに・たかお)。1978年、秩父セメント(現太平洋セメント)入社後、太平洋セメント情報システム部長、秩父鉄道常務取締役などの歴任を経て、2011年、秩父鉄道株式会社の代表取締役社長に就任。

秩父の産業を発展させるために、
鉄道が必要だった

―去年120周年を迎えた秩父鉄道は、どのような歴史を辿ってきたのでしょうか。

大谷:現在の事業の骨格をつくりあげられたのは三代目までの社長で、約30年くらいで現在まで続く事業の柱が出来上がっています。

もともと秩父は江戸から明治にかけて絹織物産業が盛んで、創業者の柿原萬藏も絹織物の商売をしている人でした。当時は商品を馬車などで流通させていたのですが、秩父は山奥だったので物流面のハンデがとても大きかったんです。そこで創業者の柿原は、産業を発展させる手段として鉄道に目をつけました。

日本の鉄道の歴史が始まったのは、新橋横浜間に鉄道が敷かれた1872年です。創業当時は、鉄道を事業としてやったことのある人自体がほとんどいませんでした。経営ができる人はもちろん、建設や運行のノウハウを持っている人も必要だったわけですが、なかなかいなかったんです。そのため、創業者は資金や技術など、あらゆる面で大変苦労したと聞いています。

それでもなんとかやり遂げて、創業から2年後の1901年に熊谷・寄居間に鉄道が敷かれました。しかし当時の日本では株式会社の制度も馴染みがなかったので、鉄道の開業以降も資金面では苦労が続いたようです。

その後、二代目の社長に就任したのが柿原定吉という人です。この方は経営面で非常に長けた方でした。

二代目の社長は、絹織物産業の活性化という目的だけで秩父鉄道を運営していくのには限界があると考えていました。折しも、秩父に石灰石資源があることが判明し、これを有効活用しようと動き出したのです。それに加えて、秩父に観光地としての魅力を見出したのも二代目の社長です。

絹織物を中心とした旅客中心の事業展開に加えて、石灰石を活用した産業としての流通事業と、秩父を観光開発して東京から人を呼び込む観光事業も展開しようと考え、事業計画を練り直しました。

二代目の社長はいろんな方とのつながりも持っていた方で、最近話題になった渋沢栄一とも接点があったそうです。その渋沢栄一から資本家の方などを紹介してもらい、練り直した事業計画を話したところ非常に賛同を得られ、その辺りから資金的な苦労から解放されました。

こういった経緯で二代目の社長は、秩父の「セメント」と「観光」という2つの資源を見出していきました。

それをより具体化したのが三代目の社長の諸井恒平という人です。この人は秩父セメントの創業者で、秩父セメントと秩父鉄道の社長を兼務された方だったので、これを機に当社はセメントと鉄道の両輪経営を本格化していきました。

1923年には、秩父にセメントの工場が創業して、秩父鉄道を通じて関東一円に流通しはじめ、長瀞を中心とした観光事業も人気を集めるようになりました。

このような流れで、セメントを中心とした「産業路線」、長瀞を中心とした「観光路線」に、地域の方々の日々の利用を支える「生活路線」としての役割を加えた3つの事業が、確立されていきました。これらの事業は現在でも秩父鉄道の柱になっています。

―その3つの柱が出来上がったのが、創業から30年経った頃なんですね。

大谷:そうですね。実際に数字で見ても、1899年に創業して約30年後の1930年までで秩父地区の人口は約3倍になっています。当時の日本の平均的な人口増加率は1.5倍なので、秩父地域では全体の倍くらいの人口が増加しています。

特に主な要因となっているのはセメント産業ですね。今では技術が発達してきて状況も違いますが、当時は何千人という雇用を生み出していたので、秩父以外の地域から人が集まってきました。これが、人口増加につながっていたんです。

そういう面から見ても、初めの30年の変化は本当にすごいと思っています。

沿線地域の発展に貢献するのが
我々の使命なんです

大谷さん

―秩父の産業や人口と、秩父鉄道の事業は密接に関係しているんですね。

大谷:そうですね。地域との関わりが密接な分、秩父の人口が減少してきている近年は、事業としては厳しい部分もあります。一つの大きな柱であったセメント産業も1970年ごろからピークアウトして、今では秩父地域でセメントを生産している工場は一つしかありません。3つあったのが今は1つしかないんです。全部セメントのせいにしてはいけませんが、工場がなくなれば当然働き手がなくなるので、人口は減少してしまいます。それに応じて生活路線のお客様も減ってきている状況ですから、なかなか厳しい。

鉄道事業を中心にやっていると、どうしても沿線を超えて事業をすることは難しいですよね。やっぱり、我々は沿線地域の発展に貢献するという目的で生まれて、ずっと事業を行なっていますので、沿線を離れて事業展開するというのは我々の使命から外れているのではないかと思うんです。

今ある鉄道事業や観光事業がゼロになっているわけでありませんしね。今利用してくださっているお客様に対して、安全で安定した旅客輸送を提供することは全く変わらないわけですから、ここは大切にしていきたいです。

―セメント産業の縮小、そして人口減少してきた辺りから、流れが変わっていったんですね。

大谷:人口が大きく増加していた頃に比べると厳しいですね。ただ、私が社長になって9年が経つのですが、いろいろと取り組んできて、沿線にも変化が出てきています。非常に面白い街になってきている。

実は、この9年の間に新しい駅を2つ作りました。

最初に作ったのは、「ソシオ流通センター駅」という駅です。30年前、熊谷市の東部地区に流通センターができた時から新駅の要望はいただいていたのですが、当時は具体的に発展が見込まれる計画がなかったので、作るという判断はできませんでした。しかし、その流通センターを拡張する計画がでてきて、それに合わせて行政が駅候補地の周辺を市街化区域に編入するなど、大きな動きが出てきたんです。それなら駅を作っても将来的に負担にはならないし、地域の発展に貢献できるよね、ということで駅を作ることに決めたんです。

もう1つは、「ふかや花園駅」という駅です。これは関越道の花園インターチェンジというところの近くの駅です。この駅を作ることになったのは、深谷市がここに大型のアウトレットモールを誘致するにあたり、新しく駅を作って欲しいという話をいただいたことがきっかけです。あと2年で開業するのですが、年間650万人の来場者を見込んでいて、これは非常に大きな環境変化を生み出すのではないかと思います。

普通、アウトレットモールの交通手段は車のイメージが強いのですが、この駅はアウトレットモールと同じ敷地内にある駅なんですよ。電車を降りて改札出ると、もうアウトレットモールという形になっていて、車を持たないお客様も来やすい、アクセスの非常にいいつくりになっている。一般的なアウトレットモールの場合、鉄道を利用した来場者の割合は数パーセントと言われているんですが、ここはそういうレベルにはおさまらないと考えています。おそらく交流人口を増やす大きなきっかけになるはずです。

―沿線地域の発展や、人口の交流などを強く意識されているんですね。

大谷:意識していますね、沿線地域の発展に貢献するのが我々の使命だと思いますので。単に我々だけが儲かればいいという考え方では、何か新しい事業をやろうとしても、なかなか認めてもらえないですよね。

沿線の自治体であったり、住んでらっしゃる方であったり、いろんな事業者の方であったり、そういう方々と一緒になって事業に取り組んでいくことで、地域がより発展するんじゃないかと思うんです。そういう事業には、我々としても積極的に取り組んでいきたいですね。

2つの新しい駅に関連するプロジェクトもそういう思いでやっていますし、非常に面白い展開だと思います。

ふかや花園駅大型のアウトレットモールが開業予定のふかや花園駅

地域の方たちと一緒に
イベントを作っていく

―地域に根ざした様々なイベントも積極的に開催されていますよね。

大谷:そうですね。企画部を中心に面白いことをいろいろとやってくれています。

私たち鉄道会社は「鉄道の価値」を積極的に発信していくべきだと考えています。私たちが「どんな事業をやっているのか」や「こんな利便性をみなさんに提供しています」というようなことを、利用者の皆さんに知ってもらわないといけない。その一環としてイベントを開催しているんです。

というのも、鉄道が無くなったときのことって普通はあまり考えないですよね?現代の人にとって鉄道は、あって当たり前のものですから。でも実際は、全国的に見ると無くなっている路線も沢山あります。

鉄道がある地域とない地域を比べたら、人口の変化率は大きく異なります。単純に考えれば「バスでもいいんじゃないの」とも考えてしまいそうなんですけど、鉄道の大量輸送能力って、他の手段ではなかなか代わりがきくものではないんです。地域の発展において大きな役割を担っていると思いますし、鉄道がなくなった地域で発展している地域って、基本的にはないのではないでしょうか。

だからこそ、我々事業者は地域の方々に鉄道の価値を知っておいてもらうような取り組みをやっていきたい。そういう目的もあって、いろんなイベントを主催してきたのですが、最近では、地域の方々から「一緒にやりましょうよ」というお声掛けをしてもらえるようになってきているんです。鉄道の価値や役割を地域の皆さんに知ってもらおうという取り組みが、身を結んできていると感じています。

―地域の方から発案されたイベントもあるんですか?

大谷:最近は、地域の方からの発案が非常に多いですね。SLを使ったイベントや、沿線の特産物、沿線にある酒造メーカーと協力して行ったイベントなど、いろいろと実施しています。

当社の鉄道やSLなどの車両を使えばこんなことができますよ、というのを発信してきて、それがいい循環になっているんですよ。

―地域の方からイベントの案が持ち寄られるようになったのは、いつ頃からですか?

大谷:一番大きなきっかけになったのは、2011年に行ったイベントですね。東日本大震災の話になってしまうのですが、3月11日に震災が起こって、4月に福島県双葉町の方々が埼玉県の加須というところに集団で避難してらっしゃったんですね。旧埼玉県立騎西高校というころに。

その時に、加須で避難生活している方々を、なんとか元気付けることができないかと考えた地元住民の方々から声をかけていただいたんです。4月というと秩父では芝桜が綺麗なのですが、被災者の方々に芝桜を見てもらえるように協力してくれないかと。

それは非常にいい話だと思いましたので、すぐにバスやSLを提供することを決めました。そして、秩父市や観光協会、近隣の学生の方たちとも協力しながら、芝桜をはじめとした秩父観光を楽しんでいただくことができたんです。

学生の方でいうと、秩父農工科学高校という高校のフードデザイン科に「SLの中でも食べられるようなお弁当を提供しませんか」というお声がけをしました。できれば秩父の特産品を使ったお弁当がいいんじゃないかということで、レシピを作っていただいて。

そういうことって、学生にとっても非常にいい経験になると思うんですよね。鉄道を使ったイベントは、我々だけでなくて行政も協力してくれますし。そういうふうに、被災者の方を勇気付けられるようなイベントができたことは、地域の方の発案でイベントをやっていく大きなきっかけになったと感じています。

―すごくいい話ですね。地域の方からの発案というのが、また素敵ですね。

大谷:その当時は我々も計画停電などの影響もあって、非常に厳しかった。苦労していた時期ではあったんですが、社員も積極的に協力してくれましたし、非常にいい取り組みができたと思いました。その辺からですね、いろんなイベントを地域の方々と一緒にできるようになったのは。

2011年イベント
2011年イベント2011年4月、鉄道を貸し切り被災者の方々を秩父観光に招待するイベントを行った

地域の方々との繋がりを、
これまで以上に深めていきたい

―最後に、秩父鉄道の今後の展望を教えていただけますか?

大谷:地域の発展に貢献することを続けていきたいと思っています。

秩父って、非常に広大な森林を抱えていて、人が生きていく上で不可欠な水と空気を、ずっと昔から提供してきた場所なんです。そして大正から昭和にかけては、鉄道の開通とともに、地域基盤を整備するのに不可欠なセメントという工業製品を提供してきました。それから、これはちょっと残念な話なんだけれども、鉄道ができたことで人も流出してきた。

言ってみれば、秩父はいろんな面で川の上流にいて、川下に対して物やサービスを提供してきた地域だと思うんです。しかし、それだけでは秩父自体が廃れてしまいますし、我々としても当社の使命に100%応えているとは言えません。これからは、秩父が川下になるような事業展開をやっていく必要があります。

その一つとして、ふかや花園駅の建設は、交流人口を増やすという意味で大きなインパクトを与えていくはずです。人を深谷まで連れてきて、そこから、地域沿線に交流を促進していきたい。この取り組みは大切にしていきたいですし、我々だけでやれることではなくて、地域の方々に協力をしてもらわないといけないし、一緒に努力しなければいけません。

そのためにも、イベントなどを通じて築いてきた地域の方々との繋がりを、これまで以上に深めていきたいです。

地域の発展に貢献していく。この私たちの使命に、これからも取り組んでいきたいと思っています。

大谷さん

 

大谷隆男(おおたに・たかお)
1978年、秩父セメント(現太平洋セメント)入社後、太平洋セメント情報システム部長、秩父鉄道常務取締役などの歴任を経て、2011年、秩父鉄道株式会社の代表取締役社長に就任。
秩父鉄道:https://www.chichibu-railway.co.jp/